本宮、里宮の二社で構成されており、現在は河口湖畔の境内地を主とし、向き合う形で建立された両殿に参拝することが出来る。
昭和46年、神社本庁指定の別表社に列せられる。
平成23年2月、富士山二合目奥宮境内地、並びに現在の本宮里宮境内地が『史跡富士山』に指定され、平成25年には富士山世界文化遺産構成資産として「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」として登録された。
富士山中最古の社。
文武天皇3年(699年)に藤原義忠によって霊山富士二合目に奉斉されたと伝えられる。
その後708(和銅1)年に祭場の形を造り、720(養老4)、807(大同2)年に雨屋、社殿を創建された。
富士噴火のため焼失したが、その後、しばしば再興、増設された。社名の「御室」は、かつて祭祀を石柱をめぐらせた中で執り行っていたことによるものである。中世には修験道、近世には富士講と結びついて発展し、特に戦国時代には甲斐武田家三代に渡り崇敬を受け、武田信玄公直筆の安産祈願文を始め、多数の古文書が今も保管されている。現在の本殿は、慶長17年(1612年)に徳川家の家臣の鳥居成次によって建てられたものである。その後4回の大改修を経て、昭和48年(1973年)に富士山二合目から現在地に遷座された。構造は、一間社母屋造り、向拝唐破風造りで、屋根は檜皮茸形銅板茸きであり、桃山時代の特徴をもっている。国の重要文化財に指定されている。
958年(天徳2年)村上天皇が、崇敬者の礼拝儀祭の便を図るため、 老松繁る現在の場所へ建立。
以来武田家、小山田家、徳川家からあつい信仰や手厚い庇護を受けて来た。
現在の建物は、明治22年に再建。
河口湖に面し、喧騒と離れた静寂の中で、 歴史の風を感じられる。
木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)
大山祇神の御息女にして大変美しく、後に天孫・瓊瓊杵尊の妻となり、火の中で皇子を無事ご出産なされたという故事から、良縁・子宝・安産・火防の御神徳が特に有名な富士山の女神。 また火山を鎮める水の女神ともされ、富士の豊富な湧水が多くの恵みをもたらした事から、繁栄、流通の神としても崇敬を集めている。
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